雑記帳 ブログ
雑記帳 ブログP4
陶淵明
同人誌印刷 トム出版飲酒二十首
早いもので、もう10月も終わりに近づいてきた。
朝晩もとても冷ややかだし、特に日の暮れるのが早くなった。
秋の澄徹な空気は、遠望の景色を目睫の間の如きにすることができる。
陶淵明は『飲酒二十首』のなかでこう詠った。
采菊東籬下 菊を采る とおりのもと
悠然見南山 悠然として 南山を見る。
菊を摘みながら、遠い南山のあたりを悠然と眺めていた。
ひむがしの垣根のあたりで、、、、。
と、
とても雄大で、のどかな秋の景色がほんとに目に見えて来そうだ。
浮世の騒音から離れ、何か物事をじっくり考える。
秋はそんな季節である。
奈良七重七堂伽藍八重ざくら
奈良七重七堂伽藍八重ざくら 芭蕉
東大寺の伽藍と知足院のあたりに咲く八重桜は、古都奈良の風景を一段と引き立てている。
私は、奈良へ行くと、必ずといっていいくらい一巡りするコースがある。
近鉄奈良駅から興福寺の公園を抜ける。その突き当たりを右に折れ、春日大社の細い道を南にぶらぶら歩いて、上高畑町の志賀直哉旧宅へ立ち寄る。
志賀邸付近は静かな住宅街で、すぐそばに高円山の裾が降りてきている。
ここで直哉は昭和12年にあの長編「暗夜航路」を完結させたそうだ。54歳。
しっとりとした数寄屋造りの二階建てで、和洋折衷のたたたずまいである。
そこから土塀の続く住宅街を300メートルほど南にいくと、右側に古い堂宇が見えてくる。
新薬師寺だ。
ここはとても古さびた、ほんとに古寺といった風情がある。
和辻哲郎の、あの「古寺巡礼」にも出てくるが、古都奈良を一口で説明しようとすれば、 新薬師寺の名を借りるほか、他に適例はないと思うくらいだ。
本堂の中は薄暗くされていて、中央に薬師如来(国宝)が座している。 で、それを取り巻くようにして、円形に神将の塑像が並んでいるのだが、そこに、あの有名な仏像
、、、、、、うーむ。
私はこれには、つい見入ってしまう、、、時の忘れるほどに。
つづく
戒壇院への道
新薬師寺をあとにして飛び火野
(飛び火野は、錦之助さんの例の武蔵が般若坂の決闘のシーンで活躍した場所である。)
その芝生を右に見ながら東大寺南大門のところに出た。
その東大寺は、今から1200年前、聖武天皇の基皇太子の菩提のため聖武天皇が建てられたそうだ。
正面が大仏殿、それを経て鐘楼のところを少しいくと、右にお水取りで有名な二月堂。
水とりや 氷の僧の くつの 音
野ざらし紀行 芭蕉
その鐘楼だが、あのNHKのおおみそか、「行く年来る年」で何回もナマ中継されているから大抵の人はご存知だろうと思うが、
重さ26トンもあるそうだ。しかも国宝だ。
この鐘は日本三名鐘の一つに数えられ、
1東大寺 2平等院 3三井寺
1神護寺
の順に並ぶそうだが、東大寺と、あの源頼朝の肖像画の保存されている京都の神護寺が1位で並んでいるところが面白い。 きっと世間の名鐘通が甲乙つけ難いのだろう。
ここから裏参堂へ入り、正倉院を経ていよいよお目当ての場所だ。
つづく
爛 柯
私はもともと同人誌が好きだったが、
今ではその同人誌趣味を飛び越してしまい 同人誌をつくる方に回ってしまった。
同人誌といえば、 普通には、いわゆる文学系の同人誌のことを思い浮かべるが、
私も実際、若いころ純文学などの書に耽溺したことがある。
毎週火、土になると谷町の同人誌の会に通うほどの熱心さだった。
その同人の帰り道、天満のロイヤルホテルへ 上司の打つ囲碁の見学に赴いた。
私も囲碁は若い頃からヘタのヨコ好きで、浪速のジャンジャン町で 飛び入り勝負に参戦し、完膚なきほど痛めつけられた、けったいな 経験もある。
その天満の囲碁の日本座敷はとても高級で、我々など出入りできるような 半端ところではない。
私が部屋に着いたとき、盤上は白熱していた。
上司は顔を赤く染め、両劫でふんばっている。
軽く会釈をしてわたしは、少し離れたところに静かに正座した。
その時、何気なく床の間の長押を見上げると、、、
毫端一閃、見事な額が架かっていた。
【爛柯】
なんと読むのだろう。何て意味かな?
目の前の勝負が終わるまで、私はずっとそれに捉われていた。
つづく
同人誌印刷 トム出版
先日、囲碁の話をしました。天満の日本座敷にかかっていたあの額に
【 爛 柯 らんか 】
とありました。
さて何という意味かな、と思いつつ後で調べてみると、
「 らんか 」 の故事とは、
むかし中国の晋の時代に王質という木こりがいました。ある日、森の中で四人の子供に遭遇しました。
見ると子供たちは互いに囲碁を打っているのです。で、その勝負があまりにも面白いので 木こりはつい見入っていますと、ふと気がついた時には腰に差している斧の柄がボロボロに腐っていたというお話です。
爛 ( くさる ) 柯 ( 斧の柄 )
転じて
夢中になる。また、囲碁のこと。 またこの故事は、述異記(じゅついき)という書物に載っているそうです。
【 述異記 】
祖沖之 ( 429〜500 )
中国の神話伝説の書。南朝斉の祖沖之(429〜500)の撰、10巻。
または、南朝梁の任ム(460−508)の撰、2巻。祖沖之または任ムの撰と言われているが、
実際には唐〜宋代(618−1269)に、任ムと同時代の書籍から集められたもの。
盤古、蚩尤、神農などに関する小伝、故事が収められており、神話の資料として役立つものになっている。
日本にもこれと同じような昔話がありました。
そうです、浦島太郎の伝説です。これも気がついてみると、 あっという間に年月を閲したというお話になっています。
あまりにもよく似ているので、発祥の起源はもしかすると、 親類なのではないでしょうか。